そもそもはじめてルースターズを聴いたとき、惹かれたのは大江の声だった。引っかかりのあるハスキーで、突き刺さってくるような声。
はじめて観たときシビれたのは、ギタリストとしての大江だった。普通、コード・カッティングは手首、あるいは手首と腕の両方を使って行う。しかし初期の大江は、ネック側をリズムにあわせてガンガン動かすという、視覚的にも非常にインパクトある奏法で独特のノリを出していた(映画「爆裂都市」の冒頭で、その奏法を垣間みることができる)。

今日、WOWWOWで、先日フジロックフェスティバルに出演したルースターズの映像を見ることができた。その場にいたわけではないので、とても醒めた見方かもしれないが、そこにはかつて好きだった「ヴォイスの持ち主」としての大江も、「ギタリスト」としての大江も、見い出すことはできなかった。バンドの中心にいたのは、まるで呪詛を叫ぶシャーマンだった。

昔、大江は「『ノー・ニューヨーク(ASIN:B00005IGNZ)』が大嫌い」といっていたが、それは結局、黒人の築き上げた土台を意識的に避けて、新しい白人のリズム音楽を作ろうとする傾向に違和感を表明していたのではないかと思う。しかし現在の大江のヴォーカルは、背骨にリズム&ブルースがガッチリ食い込んだルースターズの音楽に、あっているとは思えない。

フジロックにおける大江は確かに「すごかった」。でも、そのすごさの質は、いいかたは悪いが……ある種の「コワイもの見たさ」を満足させてくれるような「すごさ」じゃないだろうか。ルースターズ脱退直前も、そういう見方はあったけど。

ただ、池畑のドラミングは本当に素晴らしかった。昔は「レッツ・ロック」や「ゲット・エブリシング」など、パーカッションのダビングを重ねた楽曲は、ライブでの再現に苦労していた気がするが、何の違和感もなかった。花田もフロントマンを経て、昔以上に目を惹くガッツ溢れるプレイをしていたと思う。井上は……もっとスゴかったと思うんだけど。

単純に、大江が(その度合いはわからないものの)復調し音楽活動を再開してくれたのは、とても嬉しい出来事だと思う。でも、現在のヴォーカル・スタイルであれば、それが前提の音楽をやって欲しいと思う。

なので、「昔の」ルースターズが記録されたボックスセットは買うし、大江の「新しい」バンド、UNのCD「KNEW BUT DID NOT KNOW」(ASIN:B0002XVTTQ)も買うだろう。

しかし、もし今後、またオリジナル・メンバーによるルースターズのライブが行われ、観にいける環境にあったら、今度はきっと観にいくのだろうな。そして複雑な思いをするのか、考えが変わるのか……ちょっとわからない。