夜9時過ぎ、仕事中に携帯が鳴る。自宅からで、いやな予感がしてかけなおすと、伯父の弔報を知らされる。実家に電話をかけ、詳細を確認する。遠隔地で通夜・葬儀が行われるため、無理に来なくてもよいという。実家に電話したのも久しぶりだったので、他愛ない世間話をし、斎場を確認して切る。その後、弔電を手配し、伯父の思い出を反芻する。
ずいぶん前に伯母も亡くなり、一人暮らしだったはずだ。子供はいなかった。切り絵に凝っていた。
遠い昔、正月に遊びに行ったことしか思い出せない。トイレがいくつもあるような大きな家に住み、お年玉をはずんでくれた。普段食べなれないお菓子が出された。掘りごたつに驚き、潜った。飼い犬によく吠えられた。それくらいだろうか。
そしてふと、重大な事を思い出す。
伯父はオレの名付け親だった。読み方はさておき、字面は珍しく、確か中国の古典に由来するとの事だった。親に聞いても難しすぎて忘れたとかで、「伯父さんに聞いてみなさい」といわれていたのだ。
そしてその機会は永遠に失われた。
自分自身は全く好きになれないが、名前は気に入っている。今後は記すたび、名前の意味と伯父の事について考えるようにしよう。名は体をあらわすというが、意味を知らないんじゃあらわしようがない。カラッポのままだ。