晴れ。

今年の5月にココを読んで、アートでも文学でも、そして音楽でも、ある種のものに対しなんか胡散臭く感じるのは、本質と関係のないところに付加価値を見いだそうとしているからだと思った。そして同じところから孫引き。


人間としての使命は、飢えた子供に水や食物を与えるということであるが、文学者としての使命は、飢えた子供にも文学の喜びを分かち与えるということであろう。だから文学者としてのサルトルは、飢えた子供にとっても『嘔吐』は面白いのかと問うべきであった。そして、異議申し立てという形式で文学を延命させようとするのではなく、いかに悲惨な状況においても文学は精神の力になると言い切るべきであったのだ。
小泉義之デカルト哲学のすすめ』講談社現代新書26頁